2016年6月24日金曜日

さようならの唄

長渕剛はロン毛で声もちょっと繊細で、そして女性ファンが多かった時代の方が好きだ(ちなみに「長渕剛LIVE」という1981年の千葉でのLIVEアルバムは昔も今もヘビーローテーションの1枚で、その中でも「さようならの唄」が押し曲ですw)。とは言っても長渕の曲はこのアルバムでしか聞かないけど。


1つの旅が終わろうとしている。

作業療法士は人生のパートナーではないと思う。ゆりかごから棺桶まで一緒にいるわけではない。作業療法士は伴走者であり、時には子であり、時に親鳥かもしれないが「はじめまして」と開始されてから、ターミナルを除いてはエンドレスに行われ、人生のゴールテープを一緒に切ることが最大の成果ではない。残念ながら、気持ちだけあっても効果のないことに付き合うほど我が国の財政は満たされていない。

クライエントが作業療法士とともに作業と関わる術を覚え、自律する。最終的には作業療法士が離れた後も自ら作業的存在になれるようにエンパワメントされ、幸福な生活を送っていくことこそが最大の成功だと私は思う。

クライエントが千差万別のように、作業療法士が何を思って、何を目標として仕事に取り組んでいるのか?も千差万別。私は作業を大切にする組織を作る。それも回復期で大人数で。が目標。そうすることで、恐れ多いことだが日本の作業療法やリハビリテーションにほんの少しでも影響を与えることができればなと思っていた。それは医師から発信するのではなく、リハから発信することに意味を置いていた。リハビリテーション医療チームの1職種の立場でどこまでできるのかというチャレンジだ。

開設から7年。8年半前に作った企画書が出てきた。読み返してみたら、その9割は達成していた。そして、今は仕事を楽しむことが多い。管理も作業療法も。素晴らしい環境に恵まれている。まだまだやらなくてはならないことはあるけれど、今は自分の職場と仲間を誇れる。
 今までその1000倍ぐらい辛い思いをしてきた。簡単な道ではなかった。ただ単に理想を掲げて現場以外で言っている人ではなく、臨床現場のゼロ地点から辛酸を舐め、仲間に支えられ、ようやくここまで来たことは自分で褒めてあげたい。考えてみれば、1000倍の辛さがなければ、今の楽しさは1億分の1だったかなと思う。血を吐きそうな辛いことも振り返った時には楽しさを感じるためのスパイスだった。

さて、私の目標の最終形態には私はいない。私がいなくても作業的組織であり続けることが私の目標とする最終形態。私の目標を達成するためには私はいてはいけないということだ。マネジメント本にも書いたが、イノベーター的リーダーはいつまでもトップにいてはいけない。そもそも抜本的に管理者としての素質や能力が高くあるわけではない。


従って、病院を去ることにした。


まだ8月に3日ほど勤務は残っているけれど、本日が私の中での管理者としての最終出勤日だった。辞めるということで様々な職種の止められ、時には涙を見る、こんなのは人生で初めての体験だったし、私は幸せ者だなと思った。私がいなくなってからも、残された君たちならきっとやってくれることを確信している。8年以上前の企画段階からそのゴールには私はいなかった。

口は悪いし、職員の送別会にも、結婚式にも出ないし、ファシズムだしw、それなのにどの職種もみんな仲良くしてくれてありがとう。


全てのスタッフに心からの感謝と激励を込めて。
「さようなら。また会おう」


もう大組織で管理者として生きることはないでしょう。
半径5m以内の小動物を殺害できるほどのオーラを身に付けたいwと言って、
人を寄せ付けないダメな管理者でしたが、

「我が管理者人生に一片の悔いなし!」

(知らない人は北斗の拳読むべし!w 北斗の拳16巻)

さて、一つの旅が終わるが、まだまだ旅は続きます。
次の旅ではどんな苦難があり、乗り越えて楽しいことをぶちまけるのか?
乗り越えられずぶちまけられないのか?w 

これからも宜しくお願いします。


2016年6月7日火曜日

仕事は「楽」ではない

仕事というのは、「それを生業とすること、生計を立てること」とあります。
まあ、生きていくために仕事をするので、道楽やボランティアとは違いますね。

いろいろな人と会っていると、仕事に様々な楽(らく や たのしい)を求める人がいます。多くの場合は2タイプに分かれるかなと。

1.仕事で純粋に楽(らく)を求める
ただ単にきつい仕事を避ける。休み時間が多いほうがいいし、面倒なことは少ないほうが良い。勉強はしたくないし、休日は多いほうがいい。そんでもって給料は多いほうがいい。

まあそりゃそうだ。

2.仕事に楽しいを求める
楽しい仕事を求める。作業療法を楽しくやれるような職場がいい。辛いことばっかりで仕事が楽しくない。

しかし、個人的な観点からすれば、それはナンセンスかなーって思っています。んな都合のいい話があるはずがない。

私が恩師である医師から言われたのは、医療・福祉の生業として生きる人は基本人の不幸で飯を食っています。そのためには知識・技術の研鑽は必須です。この業界の業務体制はどんどん過酷になっていきます。また、医療福祉の世界以外でも、仕事で面倒なことが一生ないなんて、あるはずがありません。

仕事なんて辛いもんです。長いこと人生をやっていると、うまくいかないことなんてたくさんあります。仕事を楽しんでいる人のように見える人たちは、主体的に自分でどうやったら仕事が楽しくなるかを考えて、苦労してつかんだ結果なんだと思います。みんな不安がないわけじゃない。それを打ち負かすほどの何かを主体的に動いた結果がついてきているんです。待っていて、誰かがやってくれるさーでは、何も始まらないんですね。

仕事を楽しくするもしないも自分次第っちゅうことです。
自分と未来は変えられるので。