2016年8月16日火曜日

マネジメント本が変えること④ 

仲間とのリレーBlogです。
マネジメント本が変えること① by ryukyuOT
マネジメント本が変えること② by tomoriさん
マネジメント本が変えること③ by 侍OT

作業を大切にする実践を行うには2つの壁があると思う。


まず1つは、その実践方法がわからないという作業療法の知識技術に関する壁

それを打破するために皆で創ったのが
「作業で語る事例報告」



もう1つの壁は、知識技術があってもうまくいかないという環境因子の壁

その壁を乗り越えるために作ったのが、マネジメント本


やれないことを嘆くより、どうやればできるかを考えたくなる本。

私の最初で最後の大規模管理者としての思いがここにある。



2016年8月4日木曜日

感謝しかない There is not the person who is happier than me.

Los Angelsから帰国し、LAのことを書くべきとは思いながら、筆を止める訳にはいかない。

本日、私は今の病院の常勤勤務を終了した。
LAにいる時から最後のプレゼンテーションをしてくれと言われていたので、まあ用意して実際、うちのスタッフはいいことやっているので自信を持ちなさい。そしてkeep going!! go ahead! 進むことを止めるなというエールを送りました。

そして、終わった後にはまあ花束贈呈くらいかな〜と思っていた。

それは、大きな誤算だった。

スタッフは様々な登場人物(院長)を含め、壮大なMovieを用意していた。



彼らが作成した動画は、素晴らしく感動を揺さぶるものであったが、それを覆い隠すように楽しむことに専念した。

作業を大切にする、クライエントを中心とする、活動と参加にアプローチする病院を作る道はとんでもないほど大変な道だった。しかし、多くの人に助けられ、いま達成することができている。そして、今、離職する自分であるが、多くの人がその別れを惜しんでくれている。そして、今までの功績をたたえ、私がいない状況下でのこれからの発展を約束している。管理職としてこれほど光栄なことはない。本当に皆ありがとう。

そして、サプライズとして、動画の最後にメッセージがあった。何故か、娘と息子、そしてかみさんのメッセージ。プライベートの話が出ていることで動揺し、なんとか気持ちを抑えることができたが、どうやら、スタッフが手紙で依頼をして、そして、かみさんと家族が答えたようだ。家族にはさんざん迷惑をかけてきたため、気持ちを抑えることが本当に大変だった。


さらに、サプライズゲストとして、退職して京都から駆けつけた元右腕、PTをまとめてくれいてた元左腕、そして、産休中に休んでいる皆。時間給をとったり、子育てで大変な中、駆けつけてくれて、本当に申し訳ない。そして、それを裏で数時間見ていた院長と事務長が、こんな送別は見たことがないと口を揃えた。それはそうだ。俺も見たことがない。




そして、主要メンバーの決意宣言。私は何も心配していない。君たちならできる。



さらに、最後にサプライズゲストですと、登場したのは、かみさんと娘と息子だった。車で1時間ぐらいかかるし、人前に出ることを極端に嫌がるかみさんが、子どもとまさかの登場で、花を自分の子供から受け取るときには最大限に何かを堪えることしかできなかった。元管理者としてプライベートと仕事は分けたいという思いと、スタッフと家族の思いの両極の間に感謝しかなかった。





そして、僕は最高の仲間に囲まれ、最後の日を迎えた。こんなに幸せなことはない。本当に涙を堪えるのが精一杯だった。
僕は送別会をされる資格はないので、リハ科の送別会は全て断っていた。病院の主役職の送別会を半ば拉致され出た後、2次会の会場にはOTが勢揃いしていた。

すべてが終わり、半ば終電で帰宅し、駅から家まで帰る途中、感動は自然と跡を絶たなかった。生半可の道ではなかったが、つらい思いをしたからこそ、最高の感動が待ち構えていた。最高の家族、そして仲間に感謝しかない。私は世界一の幸せものだ。これからもまた試練が待ち構えているが、苦しみながらも最終的には楽しみたい。



全ての愛する仲間に感謝。


2016年7月27日水曜日

LA生活 その3

馬を愛でていますが、動物はあまり好きではありませんw



いやー色々トラブルありますが、TKBさんのおかげで一息つけそうです。持つべきものは友ですねえ。

さて、LAで苦行を強いられていると思われがちです。確かにハードでは有りますが、楽しんでもいますよー。Site Visit(施設訪問)なんて楽しいですしね。もちろん病院や施設も楽しかったですが、いわゆる病気を持たない人の予備的なものがたくさんあります。Ocean therapyとかhomelessに対してとかね。日本にないもの、日本と変わらないものどちらもアメリカというレンズを通すと新鮮です。いつか機会があればゆっくり話せるといいですね。

プライベートではいろいろな国の仲間が面倒を見てくれていますよ(まあ心の支えは日本文化バンザイで西方先生が必須ですがw)。中国の仲間が特に仲良くしてくれます。Universal studioも遊びに行きました.


写真、右の方の彼はReyというRoommateで中国の学生です。すごいユニークでいつも分かりやすく英語をしゃべったり、話を聞いてくれます。後ろの男性も同じ部屋のRoommateでサウジアラビアの学生でアダ名はzizです。彼は面倒見が良くて、いつも”Tatsu大丈夫か?"って気にかけてくれています。皆学生で、年は僕の1/2ぐらいですがw、皆いい人です。そして、大学院を目指そうと思ってたり、モチベーションが高いっす。あとRoommateに台湾のShaunというヨーヨーのうまい学生がいるのですが、彼もよく助けてくれます(写真ねえなあw)。



彼はYingさんといって、Physician(医者:リハ医)です。そしてRehabilitation Therapistの資格も持っていて、上海の病院のリハ科の責任者でも有ります(※ 中国ではPTとOTの資格が分かれていません)。年も一番近く、数少ない臨床経験者でもあるので、一番良い理解者で、よくリハビリテーションやOTについてディスカッションします。中国御一行のリーダー的存在でもあるので、私を仲間に入れてくれて、助けて下さいます。


この前は皆さんに日本食を作り、素麺やそば、そして納豆にチャレンジしてもらいました。納豆は一部しかウケなかったですw




昨日は手作りで中国家庭料理をごちそうになりました。美味かったです〜


ということで、すでに帰国も明々後日となりましたが、一人帰国の不安を抱えながらラストスパート楽しんでいますw。世界は広いし、世界は狭い。
ではまたねー。


2016年7月23日土曜日

LA生活 その2

You know~ は「あなた知ってる?」と思っていましたが、「えーっと」って感じということを知りました。こちらの人は多用します。違う国ではYou like〜というらしいですw。

LA生活もあと一週間強となりました。英語は相変わらずですが、長いようで早いおっさんの学生生活です。友人たちからリクエストがありましたので、こちらの生活ぶりを紹介します。

SOTIprogramの学生はCardinal Gardenという学生寮に住めます。本キャンパスの近くにあります。(OTの学科のキャンパスは遠いです)。キッチンやトイレ、バスが付いていて、2名一組で部屋とベッドがあります。1室は2名から4名で僕は4名の部屋です。机もあるので、仕事がはかどります。週に一回バスタオル2枚とシーツハンドタオル1枚各自、そして部屋にトイレットペーパーが支給されます。バスタオルを持ってきましたがいりませんでした。

傘を持ってきましたが、雨は降りません。一回も降ってません。朝は曇っていても、9時くらいから日差しが出て、毎日ピーカンです。日が当たると痛いぐらいに暑く、サングラスが必須ですが、日陰はカラッとして涼しいです。昼でも建物の中はクーラーガンガンなので寒いくらいです。夜はむしろ寒いくらいです。

残りわずかでようやくリズムが出来てきましたが、日本より2時間ぐらい遅くなっています。朝6時ぐらいに起きて、まずは懐かしのBilly the boot campで運動をします。マジです。おかげで多分痩せていると思います。朝の運動は僕のroutineです。



授業は月曜から木曜までで、金曜日は息抜きの観光です。美術館やビーチに行きます。朝は9時か10時くらいに授業が始まるので、7時40分とか、8時20分とかにバスに乗ります。バス停までは工事もあって、歩いて10〜15分ぐらいあります。バスは無料でキャンパス間と主要駅1つを結ぶ大学専用のバスがあります。遅く行くと乗れなかったり、早く行ってしまったり、全然来なかったりとありますが、早めの行動がいいかなとは思います。バスで40分ぐらいかかります。


授業はOSやSIこちらの保険制度、大学の研究など多岐にわたりますが、USCならではのOSやSIが主を占めます。そして、各国のOTの発表(僕もしました)もあります。グループディスカッションもあって、他国の学生と話をするのは楽しいです。授業はもちろん英語で、情け容赦なく早いっすww。聞き取れないので、予習が前提です。前の日の夜に翌日の資料を送ってくれるので、それを毎日必死に訳します。自転車操業ですw。それに加え、毎日の日記みたいなものと、週一回のディスカッションのための論文を読まないといけないので、英語ができない私はまあ必死ですw。他の学生は遊びに出かけたりしますが、一人必死で翻訳していたりします。そのおかげで、授業で何を言っているかさっぱりわからなくても、予習と研究と臨床の知識があるため、なんとなく全体としてこんなこと言ってるんやろなーっていう想像はできるので、授業の理解度は5割ぐらいでしょうか。しかし、こちらの研究姿勢は本当に勉強になります。


食べ物ですが、基本すべて「すぎる」がつきます。

多すぎる or/and しょっぱすぎる or/and 甘すぎる

子供が好きそうな色のカップケーキw

美味しいのもたくさんありますが、容易に太りそうなので、基本サラダを食べて生きていますw。歩いて10分ぐらいのところにスーパーがあるので、そこで買い物をします。バナナは一房1ドル、ブルーベリーとかも1パック1ドルぐらい、サニーレタスもそれくらい。アボガドも一つそれくらいで、あとはコーン缶を買って、簡単なキッチン用品は用意してくれている(皿、鍋、包丁など)ので弁当にして持って行っています。結構安いですし、日本製品は少しだけ割高ですが、いろいろあります。自炊すればそんなに食費はかかりませんが、外で食べると大体1000円ぐらいかかります。飲み物は主に水を飲んでいます。ミネラルウォーターを買っていましたが、大学や寮に水を汲める場所があるので、そっちで十分ですね。

僕はカップうどんとそば(肉系はアメリカでは持ち込み禁止)とチンするご飯とインスタント味噌汁、緑茶、ポカリの粉末を持ってきましたが、余るくらいですね。醤油や調味料は持って行ったほうがいいかなー。マヨネーズは2週ちょっとでなくなりました。



ちなみにこちらの豆腐は一丁200円ぐらいしましたが、木綿豆腐を硬くした感じですw 日持ちが2ヶ月しますw とはいえ、日本食サイコー!

娘も25日までに宿題を終わらせると言っとるらしいので、僕もLAで来週末のFinal presentationの資料もあと少しで完成に至ります。早め早めの攻撃が重要で、終わったら日本の仕事ですw。

長文失礼しましたー。またねー。


2016年7月10日日曜日

LA生活 その1

Hi, guys!とこちらの人はよく言います。
guysは別に下に見ているわけではないんですね。勉強になります。

今後、SOTIprogramに興味を持つ方もいらっしゃるでしょうから、まとめきれないですが、軽く書いておきます。毎年1名ぐらいの日本人の参加者がいらっしゃるようです。

USC SOTI programが開始して一週間経ちました。正確に言うと、LAに来て10日になります。毎日のように仕事のメールが幾つか日本から来るので、そんなに寂しくありません。しかし、こちらではかなり濃い日々を送っています。

とりあえず、英語が全くわかりませんw。他の学生さんたちはみんなペラッペラですw。このプログラム開始以来、一番年寄りで一番英語ができないバッケンレコードを塗り替えていますw まあ、必死で予習して、1〜2割かなーと。事前にSkypeでの英会話教室を2年間やっていたのですが、成長したのは度胸のみですw。発音が違うらしく、単語ですら、それ自体が通じませんw。でもみんな優しく聞いてくれ、そしてフォローしてくれます。

しかし、授業は基本的なことをやっているので、なんとなく日本で勉強したことを反芻する感じはありますが、みんなが笑うところでついていける打率は1割です。それでも、verbalに頼らないところとか、なんとなくわかっているところから学べるものはたくさんあります。


一週間をざっと説明要約すると、学校を見学しました。だいたい日本と同じ感じですが、廊下に有名な歴代OT教授が飾ってあるのは圧巻です。


授業ではすでにDr. Clarkの授業が2コマあり、OSやマネジメントのことを話されたり、他ではクラフトをやったり、OTD(臨床の博士)を取られた先天性上肢欠損の方の体験談を聞いたり、こちらの保険制度(これは日本語サイトで予習しましたw)を学んだり、クラフトをやったり、グループディスカッションをしたりなど盛りだくさんです。少しでもついていくために、みんながお出かけしても、一人せくせくと翻訳する毎日です。おっさんは辛いよです。

(グループディスカッションではみんな優しくしてくれます)


また、OS centerにも行きました。重要文化財になっている建物だそうです。



家の中にMary Reillyの肖像画(MOHOの本に出てたのと一緒)が飾ってありました。



金曜日には病院見学で、急性期の大学病院とがんセンターに行きました。書ききれませんが、心臓に力を入れたり、occupation centeredとかoccupation engagementを大切にしているようで、急性期からやっている感じでしたね。卒業生が多いようで、お膝元という感じです。10年前に来た時とはだいぶ違っています。まず、OT室が広かった。日本の回復期ぐらいありましたね。設備は似ています。ちなみに頸部骨折は2~3日で退院だそうですよ。


ちなみに、週末金曜はいつも観光が入っていますので、いい息抜きになります〜。今週はスペースシャトルを見てきました。



全然英語しゃべれないですが、本当、スタッフの方々や他の生徒の仲間が本当に親切なので、楽しんでやっていけています。いっつも誘ってくれますが、翻訳のために断ることもしばしば。すいません。けれども感謝感謝です。

ではまたー。明日は休みですが、Ocean therapyを見学に行ってきます。


2016年7月1日金曜日

挑戦の旅

えー。仕事を一段落終えて、挑戦の旅に出ました。

南カリフォルニア大学のSummer Occupational Therapy Immersionという1ヶ月のプログラムに参加するため、先ほど寮に着きました。英語もしゃべれんし、子供と1ヶ月離れるっていうのもちょっとセンチだったし、しかし、これは私の修行です。

飛行機の航空券の予約を焦っていたのか、名前と苗字を間違えて、乗れないですと言われ、旅行会社と航空会社の電話のはしごをして、いきなり出発で出鼻くじかれた感じから始まりました。いやー成田ですでに帰りたくなったw

しかし、臨床や管理からはなれたら、僕の商品価値なんてさらに、ほとんどありませんから。アメリカで色々見て回って勉強します。スタッフや参加者の方はみなさんとっても優しいです。

しかし、テキトーに頷いているけど、冗談抜きで英語が1割ぐらいしかわからん。いやー参った参った。どうする?(爆笑)参加者の中で一番年寄りで、英語がわからん人だと思うけど、頑張ります。

ちなみにアメリカでもOTの認知度は高くないらしいですよー。なりたい職業のトップランキングだから知っているかと思ったらそうでもないらしいですね。PTとOTの区別もつきづらかったりとか、日本とちょっと似てるかもしれんです。そういう情報は楽しいです。

とりあえず、頑張ります。

2016年6月24日金曜日

さようならの唄

長渕剛はロン毛で声もちょっと繊細で、そして女性ファンが多かった時代の方が好きだ(ちなみに「長渕剛LIVE」という1981年の千葉でのLIVEアルバムは昔も今もヘビーローテーションの1枚で、その中でも「さようならの唄」が押し曲ですw)。とは言っても長渕の曲はこのアルバムでしか聞かないけど。


1つの旅が終わろうとしている。

作業療法士は人生のパートナーではないと思う。ゆりかごから棺桶まで一緒にいるわけではない。作業療法士は伴走者であり、時には子であり、時に親鳥かもしれないが「はじめまして」と開始されてから、ターミナルを除いてはエンドレスに行われ、人生のゴールテープを一緒に切ることが最大の成果ではない。残念ながら、気持ちだけあっても効果のないことに付き合うほど我が国の財政は満たされていない。

クライエントが作業療法士とともに作業と関わる術を覚え、自律する。最終的には作業療法士が離れた後も自ら作業的存在になれるようにエンパワメントされ、幸福な生活を送っていくことこそが最大の成功だと私は思う。

クライエントが千差万別のように、作業療法士が何を思って、何を目標として仕事に取り組んでいるのか?も千差万別。私は作業を大切にする組織を作る。それも回復期で大人数で。が目標。そうすることで、恐れ多いことだが日本の作業療法やリハビリテーションにほんの少しでも影響を与えることができればなと思っていた。それは医師から発信するのではなく、リハから発信することに意味を置いていた。リハビリテーション医療チームの1職種の立場でどこまでできるのかというチャレンジだ。

開設から7年。8年半前に作った企画書が出てきた。読み返してみたら、その9割は達成していた。そして、今は仕事を楽しむことが多い。管理も作業療法も。素晴らしい環境に恵まれている。まだまだやらなくてはならないことはあるけれど、今は自分の職場と仲間を誇れる。
 今までその1000倍ぐらい辛い思いをしてきた。簡単な道ではなかった。ただ単に理想を掲げて現場以外で言っている人ではなく、臨床現場のゼロ地点から辛酸を舐め、仲間に支えられ、ようやくここまで来たことは自分で褒めてあげたい。考えてみれば、1000倍の辛さがなければ、今の楽しさは1億分の1だったかなと思う。血を吐きそうな辛いことも振り返った時には楽しさを感じるためのスパイスだった。

さて、私の目標の最終形態には私はいない。私がいなくても作業的組織であり続けることが私の目標とする最終形態。私の目標を達成するためには私はいてはいけないということだ。マネジメント本にも書いたが、イノベーター的リーダーはいつまでもトップにいてはいけない。そもそも抜本的に管理者としての素質や能力が高くあるわけではない。


従って、病院を去ることにした。


まだ8月に3日ほど勤務は残っているけれど、本日が私の中での管理者としての最終出勤日だった。辞めるということで様々な職種の止められ、時には涙を見る、こんなのは人生で初めての体験だったし、私は幸せ者だなと思った。私がいなくなってからも、残された君たちならきっとやってくれることを確信している。8年以上前の企画段階からそのゴールには私はいなかった。

口は悪いし、職員の送別会にも、結婚式にも出ないし、ファシズムだしw、それなのにどの職種もみんな仲良くしてくれてありがとう。


全てのスタッフに心からの感謝と激励を込めて。
「さようなら。また会おう」


もう大組織で管理者として生きることはないでしょう。
半径5m以内の小動物を殺害できるほどのオーラを身に付けたいwと言って、
人を寄せ付けないダメな管理者でしたが、

「我が管理者人生に一片の悔いなし!」

(知らない人は北斗の拳読むべし!w 北斗の拳16巻)

さて、一つの旅が終わるが、まだまだ旅は続きます。
次の旅ではどんな苦難があり、乗り越えて楽しいことをぶちまけるのか?
乗り越えられずぶちまけられないのか?w 

これからも宜しくお願いします。